どうも、妖狐(@yo_ko)です。
突然ですが、皆さんは「学歴がいらない世界」があるとするなら、どんな世界を想像されますか?
おそらく、私(32)以上の年齢の方に「学歴なんていらないよ」という話をすると、顔面大発火で反論してくる方がいらっしゃる事でしょう。
しかし、世の中の流れとして、確実に学歴というものが陳腐化しつつあるのです。本記事では、その理由について解説いたします。
学歴がいらない世界がやってくる

長い間、個人の能力を判断する為の指標として使われてきた学歴。20世期の社会構造を一言で表すのなら、「学歴社会」という言葉が最もしっくりくるでしょう。
しかし、そんな「学歴社会」も21世紀の社会構造の前に姿を消すかも知れません。下記は2018年8月の記事です。
関連サイト:>>Google, Apple and 12 other companies that no longer require employees to have a college degree
上記を翻訳すると、「GoogleやApple、その他の12の企業では、入社条件に学位を求めなくなった」というものです。
これはIT企業に求められるエンジニアとしての能力に学歴が関係ない事。また、学歴とビジネス能力の高さに関連性が薄いという考えが広まってきている為です。
著名人の中にも学歴否定派が
日本の有名人の中にも、学歴について否定的な意見を持たれる方はたくさんいますね。まずは東大中退の堀江貴文さん。
彼はもう炎上するくらい真っ向から否定しています。なんせ「小学校すら必要ない」と言い切っていますから。
また、私の尊敬する筑波大学准教授の落合陽一さんも現在の学校教育について否定派です。
関連サイト:>>中高生のみんな、これから“学校”のルールが変わるかもしれないよ【落合陽一インタビュー】
こちらはツイッターフォロワー数6万人のエンジニアやまもとりゅうけん(@ryukke)さんのブログ。彼も大卒ですが、学歴はいらないとの事。
関連サイト:>>国立大学出てるけどやっぱり学歴って要らないなと思う3つの根拠
私みたいなポンコツ低学歴が言うならまだしも、実力のある人達が揃って同じ内容を述べている事から、やはり学歴は重要視されなくなって来ている可能性が高いと言えます。
なぜ学歴が重要視されないのか?
このような学歴軽視とも呼べる風潮の裏にあるのは、インターネットの存在が大きい事は間違いありません。
昔のように知識を頭に詰め込めなくても、グーグルかヤフーに聞けば1秒後に答えが出て来ますからね。彼らは学校の先生以上に優秀です。

ってゆうか、学校の先生に当たり外れが多すぎるんですよ。女子生徒に手を出すロリコン野郎は滅びろマジで。
私は別の記事内でこの現象を「人間がもう一つの巨大な脳を持った」と表現しましたが、間違っていると思いません。ゆえに私も学歴否定派です。
ただし、人格の形成に関わる部分として、義務教育は必要なのではと思っています。でもまぁイジメとかあったら行かんでよろし。
東大の大学院入試がオンラインになるらしい。
— 頂点理三 (@top_sci3) June 2, 2020
「カンニングされるんじゃないですか?」と聞いたら
「Google検索を前提とした試験を作る」とのこと。
「単なる暗記」では人間はAIに絶対勝てないので、科挙以来の受験制度がようやくアップデートされる瞬間がようやく近づいているのかもしれない。
学歴とビジネス能力の関係性
学歴とビジネスの能力に関係性があるのかどうかは正直わかりません。そりゃ自頭が良い分、高学歴の人の方が有能である可能性が高いでしょう。
ですが、低学歴だから成功出来ないってわけでもなく、むしろインターネットが普及してからは普通の経歴を持つ方達が成功してたりします。
ヒカキンさん(高卒)なんかはまさに典型的な例でしょう。個人レベルで彼の収益を超える人ってそうそういないんじゃないですかね。
また、ZOZOTOWNの前澤友作さんも高卒です。Wikipediaによると総資産は2220億円らしいので、完全に人生がイージーモードになっちゃったパターン。
実は、意識高い系の間でよく使われる言葉に「ノウハウコレクター」というものがあります。これは知識だけを得て実際に行動できない人を意味する言葉です。
いくら立派な学歴をお持ちでも、その能力を生かした仕事をしないと意味がありません。ゆえに実社会で本当に試されるのは、学歴ではなくその人自身の人間力と言えるでしょう。
これからの時代で必要なものは情報を判断する力

元号が令和になった今、時代の節目を感じているのは私だけでしょうか?今後、AIの発展により、社会の構造が大きく変わる可能性があります。
このような背景があるのにも関わらず、今の日本の学校教育は戦前からまったく進化していないように思えてならないのです。
個性を伸ばすのではなく、みんなと同じでなければならないという価値観。時代遅れも甚だしい理不尽な規律や校則。これらはまるで戦前の軍隊そのものです。
自分の意見を述べるディベートを重要視するアメリカ。オーストラリアやニュージーランドの選択制の授業。「個性はいらないもの」とする日本に対し、「個性は宝だ」と教える海外。
そりゃスペシャリストが生まれて来ず、マルチプレイヤーしか育たないのは当たり前ですよ。潰しが利かない人間量産してどうするんですか?
これらのすべては、上に立って意思決定している方々の頭の固さから来ていると言っても過言ではありません。
社会構造が変わりつつある現代
ちょっと個人的に質問したいのですが、「みんな同じ」って何が楽しいんですかね?私ちょっと理解できないんで、小一時間ほど教えてもらいたいのですが。
みんな同じように会社員になって、みんな同じように結婚して、みんな同じようにマイホーム買って、何か一つが流行ればみんなそれに乗っかる。
こいつらに「自分の考えはあるのか?」って1000回くらい問いたくなります。100歩譲って自分が選択した結果そうなってるのなら良いのですが、絶対そうじゃないと思うんですよね。
今後、昔の日本と同じような価値観で生きていたら痛い目にあいますよ。なぜなら、昔とは状況が180度変わって来ているからです。
「みんな違う」ことを受け入れよう
昔よりも圧倒的に変化が早い現代では、情報を手に入れ、自分の頭で吟味し判断する能力が必要とされます。これは学歴よりも、もっともっと大切な事です。
「学校の勉強」はご丁寧に答えが用意されていますが、あなたがこれから生きていく時代には、正解なんてないんですよ。自分で探さないといけないんです。
そんな時に他人に判断を任せるような人間にならないで下さい。誰かが作ったつまらん道を歩む人間にならないで下さい。
自分でブログを書くようになって思った事が一つあります。私がブログを好きな理由は、きっと自分では思いつかないような事を書いてくれる人がいるからです。
自分と違う人がいるからです。
意見の不一致を歓迎せよ。二人の人間がいて、いつも意見が一致するなら、そのうちの一人はいなくてもいい人間だ。
出典:デール・カーネギー「人を動かす」
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