どうも、妖狐(@yo_ko)です。
最近、煽り運転についてのニュースを見る機会が多くなりました。痛ましい事故に繋がる本当に悪質な危険運転。
そしてこれは、私達にいつ降り掛かって来てもおかしくはない問題でもあるのです。
「あおり運転」は許されざる行為です。個人的には極刑に値するものであると考えています。
車を所有している一人の人間として。車を運転する一般市民として。或いは社会人の一員として。今ここに、煽り運転に対する私なりの見解を書きたいと思います。
煽り運転がなくならない理由

煽り運転に対する関心が近年急激に高まっているのは、ドライブレコーダーの登場が一役買っていると言えるでしょう。
このドライブレコーダーのおかげで悪質な運転を録画し保存できるようになり、その映像がニュースなどのメディアでも大きく取り上げられるようになったからです。これは時代の流れとして、非常に良いことだと思っています。
しかし、煽り運転自体はドライブレコーダーが登場するもっと前からあったはず。
ただ単に今まで表面化していなかっただけで、実際には悲惨な事故に繋がる危険な運転が野放しにされていたのだと思います。
ではなぜ、煽り運転はこの世からなくならないのでしょうか?この疑問に対して私の見解は次の2つです。
1. 自制心が低い人間でも免許が取れるから
2. 自制心が高い人間でも感情によって煽ってしまう可能性があるから
「自制心が低い人」と「高い人」
自制心が低い人というのは、要するに喧嘩っ早くて短気な人です。街中ですぐに喧嘩したり、暴力を振るったり、我慢という行動が一切出来ないような人の事を指しています。
そして往往にして、この特徴を持った方は犯罪者にもなり易いと言えます。ですが、現状の日本の運転免許制度の中ではこれを簡単に許してしまうのです。
試験は学科と実技の2つのみで、性格的な適性を見るという項目は一切ありません。もし仮にあったとしても十分な期間で取り組まないと、猫を被った対象者を見破ることは出来ないでしょう。
見方によっては、「車」という凶器を犯罪者予備軍に与えているようにも思えます。しかし、おそらくこれは免許制度の改革で大幅に減らす事が可能でしょう。
厳格な適性審査を免許制度の中に組み込む事で、ある程度の効果は確実に得られるだろうと個人的には思っております。もちろん、それが国の経済に与える影響もあるでしょうが・・・。
そして、今回私が本当にお話ししたいのが2つ目の自制心が高い人。なぜなら、これは我々一般市民(広義には普通の人)の事だからです。
つまり、ごく普通の人でも、状況によっては危険な運転をしてしまう可能性があるという事。
私が今から述べる事に、おそらく皆さんも思い当たる節があるでしょう。
煽り運転はなぜ起こる?

私達は自分で思っている以上に感情に支配されています。人間の行動は感情によって左右されるのです。それは車の運転も例外ではありません。
例えば、皆さんが通勤時に寝坊して遅刻してしまうかもしれない状態の時に、自分の前をのろのろと走っている車がいたらどう思われますか?
おそらく多くの方はイライラして仕方がないのではと思います。時間が迫っていよいよ遅刻する可能性が大きくなってくると、多少無茶な状況でも追い抜いて行ってしまうのではないでしょうか。
煽り運転をする気がなくても、冷静でない心理状態に置かれると知らず知らずの内に、煽り運転のようになってしまっているのです。当然これは事故の要因にもなり得ます。
運転に適性のあるはずの皆さんでも、一歩間違えると危険運転による事故を引き起こしかねないという、良い例です。
実はこの事を雄弁でわかりやすく説明して下さっている方がいます。偉人の言葉を借りましょう。
およそ人を扱う場合には、相手を論理の動物だと思ってはならない。相手は感情の動物であり、しかも偏見に満ち、自尊心と虚栄心によって行動するということをよく心得ておかねばならない。
出典:デール・カーネギー 「人を動かす」
運転はコミュニケーションの一部

心の中に鏡を置くように、自分自身を客観的に見る事。私は結構苦手かも知れません。
ですが、それは相手の立場に立って考えることに繋がります。ほんの少し・・・ほんの少しだけで良いから相手の立場になって考えてあげれば、未来は大きく変わると思うんです。
これは運転うんぬんだけでは無くもっと大きなことにも通ずるとも思います。

例えば、トラックやバスなどの大きな車は、構造上それほどスピードが出せませんよね。つまり、前でのろのろ走っていたとしても、それはそれで当たり前の事なんですよ。
荷台がついた積載車と普通の乗用車を比べる事自体ナンセンスです。目的が全く違いますから。

また、田舎にはお年寄りの方がのろのろと走っている事が多いのですが、これも私達とバックグラウンドが違い過ぎます。
毎日車に乗り、車の操作に慣れている。かつ反射神経などの運転能力が全盛期の状態で維持されている私達と、車にあまり乗られない主婦層の方や能力が衰えてきてるお年寄りの方とを比較する事が間違っているのです。
多方向からの視点
原付に乗られた事がある方ならわかると思いますが、原付だと40km程度のスピードでもかなり速く感じるんですよ。
私は昔ママチャリに乗りながら、そのチャリを原付に引っ張ってもらって40kmを出した事があるのですが(良い子は真似しないでね)、正直死ぬかと思うくらいの恐怖でした。こけたら大怪我ですし・・・。
自動車では遅いと思う速度でも、風圧などを直に感じる事で体感速度は速くなるのでしょう。
おそらくこの現象は、運転の経験や人の感性でも起こり得るものだと思うのです。私が遅いと思っていても、他の人にとっては恐怖を感じるスピードだったりするのではないでしょうか。
これは多方向からの視点で考えなければわからない事です。そしてこの客観的な考え方は意識して行うようにしなければ絶対に出来ません。なぜなら私達は、主観で生きてしまう動物だから。
おわりに
「事故がなくなる時代」というのは、私はいつか必ず訪れると思っています。
それは電気自動車+自動運転によってもたらされる時代。IOTやテクノロジーの進化によって事故の無い世界を実現するもの。人間は運転から解放され、車社会に革命をもたらす時代です。
今日ワイドナショーで5Gと自動運転が取り上げられてました。ティアフォーは今年2月に(おそらく世界で初めて)5Gで接続された複数台の自動運転車(運転席も無人)を一般道で運用しました。これからサービス化します。#Tier_IV #Autoware #5G pic.twitter.com/c8bFjIrAci
— Shinpei Kato (加藤真平) (@ShinpeiKato) 2019年11月17日
ですが、私は人間が機械に劣るとはこれっぽっちも思っていません。我々人類にもきっと、ゆとりを持った運転が可能なはずです。

心の中に鏡をおきましょう。自分自身を見直して反省できるように。相手の人を自分だと思いましょう。相手の人を思いやってゆとりを持った運転ができるように。
煽り運転がなくなる世界まで。
あと、もう少しです。
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