どうも、妖狐(@yo_ko)です。
突然ですが、皆さんは今のご自分の人生に満足しておられるでしょうか?仮にもう一度生まれ変わったとしたなら、今とまったく同じ人生を歩まれますか?
もし現状に満足しておらず、人生を変えたい!という気持ちが1ミリでもあるならば、どうか最後までこの記事にお付き合い下さい。
人生を変えたいならチャレンジすべし!

この記事を書き始めたのは2019年の4月。桜は満開となり、冬の名残もすっかり消え失せていました。
私はもっぱらスノーボードが大好きで毎年滑りに行くのですが、今年の冬はハズレ年だったようで雪があまり降らず、滑れた回数も少なかったのが残念でしたね。
そんなスノーボードには「スタンス」と呼ばれるものが存在します。これは板に乗るフォームの方向を示すものです。

【レギュラースタンス】
左足が前・右足が後ろ

【グーフィースタンス】
右足が前・左足が後ろ
画像出典:https://dmksnowboard.com より引用
スノーボードをされた事がない方にはピンと来ないかもしれませんが、どちらのスタンスが滑りやすいかは人によって変わるものです。
皆さんも今、地面を板に見立ててポーズをとってみて下さい。実際に滑っているのをイメージすると、どちらかしっくりくる方向があるはずです。
英語でレギュラーの意味は通常・通例。その意味の通り、レギュラースタンスの方が滑りやすいという人が圧倒的に多いでしょう。もちろん私もその内の一人です。
いつまで経っても滑れない
私のスノーボード歴は10年ほど。
10年といえば、そこそこ一人前になれるくらいの年月です。事実、上級者コースでも難なく滑れます。ただし、レギュラースタンスだけですが。
そう、実は私10年も経験があるクセにグーフィースタンスで滑れないのです。未だにグーフィーで滑るとこけます。ってゆうか、グーフィーで滑ってる姿だけ見ると完全に初心者・・・。
では、なぜこのようになってしまったのでしょうか?それは間違いなく、私がレギュラースタンスばかりで滑っていたから。
負の感情
人間というのは苦手な事にチャレンジする時ストレスを感じます。これは主に、

失敗したらどうしよう・・・

うまくいくはずないわ
といったネガティブな感情から引き起こされるものです。未知のものに出会った時の警戒心にも、同じ事が言えますね。
反対に自発的に進んで始める物事にはこのような感情は抱きません。なぜなら、マイナスな感情を上回るほどの熱意や好感を持っているからです。
私はグーフィーで滑る事に対して、「こけると恥ずかしい」や「レギュラーの方が楽しい」といった負の感情を抱いていました。結果、グーフィーの練習を怠り、同時期に始めた友達に大きく遅れを取る事になったのです。
上手になってくると様々なトリック(ターン等)に挑戦します。その時、両方のスタンスで滑れないと着地ができません。周りの友人はどんどん上手くなるのに、私は彼らについていく事ができませんでした。
この件から得た教訓は、人は結局「出来る」を選んでしまうという事。「出来ない」にはフタをして、永遠に出来ないままだという事。
そこに必要なのは、無理矢理にでもやらざるを得ない環境に飛び込んでいける強さ。
人は本能的に変化を嫌う生物である

私の現在の職業はサラリーマン。しかし、将来的には会社をやめるつもりで今こうやってブログを書いております。
ではなぜ私が会社をやめたいのか?それは仕事内容がルーティンで変わりばえしないからです。
今の仕事を10年以上やって身につけたスキル。それは確かに素晴らしいもので、生きるためのお金を稼ぐのならば、おそらくこの会社に居続けても問題はないでしょう。
ただ、そこに残る「変化を嫌う私」を許容できたらの話ですけどね。
結局、私がイヤイヤながらも今の会社に残り続けるのは、給料でも福利厚生でもなく、ルーティン化されたこの環境があまりにも楽だから。
楽だからそこから動きたくないのです。出て行きたくないのです。この場所に居続けられるという保身の為に、本能的に変化を避けているのです。
つまり「出来る」を選んでいるという事。
細分化された仕事ほどその意味を失う
会社が同じ作業をさせるのには理由があります。
大きな企業ほどその色が濃くなりますが、組織が細分化されると末端の作業が本来の工程の一部となってしまい、その作業だけのスペシャリストが生まれるわけです。
これは新人を習熟させるよりも経費がかからず、ミスや無駄を省けるので効率化にもなります。
つまり、会社側としては出来る事だけやってくれれば良い。社員も出来る事だけやれば良い。win-winの関係ですね。
ですが、もしその仕事をずっと続けると、おそらく何の意味があるのかを考えなくなってしまうでしょう。例えば、毎日パックに料理を詰め込む作業だとしたら、そこに必要なのは手を早く動かすという動作だけ。
効率の為に細分化されすぎたあまり、ロボットのような仕事になっているのです。
単純で簡単な作業。あるいは、いつも通りの慣れた作業。これは人間の中枢である「考える力」を衰えさせ、労働力としてこき使われる歯車そのものです。
自分には出来ないと思う事にこそ挑戦する価値がある

小学生の頃の私は高い所がめっぽう苦手で、近所にあるブロックの上(推定5m)でさえ、登った時には足ガクガクのビビリーキングになっていました。
今でこそ多少はマシになりましたが、高所が苦手である事には変わりありません。
だからジェットコースターなんかも苦手。マジで乗る人が理解不能。観覧車に至っては設計図作った奴を小一時間ほどタコ殴りにしたいレベル。
でもデートとか行くと絶叫系に乗らないといけないでしょう?だからこう言うわけです。

ほら、髪型がくずれるからさ☆
<副音声:怖い怖い死ぬ死ぬ死ぬ>
結局、今までこうやって場の空気をー198℃に凍りつかせて生きてきましたが、そんなんじゃダメなんですよ。何も変わらないんです。
無理矢理にでも方向をねじ曲げないと絶対に変わりません。それは人生も同じです。
私達は今まで無意識に過ごしてきたかのように見えて、実際は1分1秒の時間を自ら選択して生きてきました。今目の前に広がっている世界は、紛れもなくあなたが自分で作り出したものです。
ゆえにもし今の状況に不満があるとするならば、他の誰でもないあなた自身の選択が間違っていたという事になります。
人生の選択肢
人生の岐路に立たされた時、誰もがその道を正解だと思って選択するでしょう。ですが、もし間違っていたとするならば、何かを変えない限り今後もずっと不正解を選び続ける可能性が高いです。
もし、それが「出来る」を選んだ結果とするならば、次の選択にはなおさら「出来ない」を選ばなければなりませんね。
自分が絶対に出来ないと思う事にこそチャレンジする価値があります。挑戦して初めて答えが見えてくるのです。
出来ないが出来るになった時、あなたには大きな自信がつく事でしょう。その自信はきっと、新しい変化の種を受け入れる土壌となるはず。
そうなれば、雪解けと共に新芽が出るのはもう目に見えています。あとは、春を待つだけです。
人生における大きな喜びは、「君にはできない」と世間が言うことをやってのけることである。
出典:ウォルター・バジョット
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